第3話 別冊フレンド差別事件

「西成のまちづくり百話」

別冊フレンド差別事件

1996年2月、鶴見橋中学校の先生が、一冊の少女漫画を持って西成支部を訪れ、「この漫画の西成の注釈を女子生徒が見て、こんなん許されへん、めちゃくちゃ腹が立つと訴えている」と報告し、別冊フレンド差別事件への抗議が始まった。

連載漫画「勉強しまっせ・STUDYS」の中で、男子高校生のセリフに「兄貴おるけど、高校中退して家出てからずっと*西成 住んでるし」とあり、「*西成」を枠外で「大阪の地名。気の弱い人は近づかない方が無難なトコロ」と記述した。別のページでは、西成に住んでいるその兄貴が全身刺青、刺し傷の姿で描かれていた。

この事件への抗議は、中学生中心で実に爽やかだった。ひと月後の3月21日には区役所で抗議集会が開催されたが、鶴見橋中、梅南中、今宮中から生徒会150人が参加した。「大好きな、みやうちさんの漫画にこんなこと書かれて本当に腹立たしいし、悲しい。講談社は責任を果たしてほしいし、みやうちさんにも私達の思いを聞いてほしい」「ボクの立っている場所は、西成なのか釜ヶ崎なのか、それとも面白半分や偏見で汚い街と見ている人間なのか、いったいどちらやねん」と心の葛藤を口々に訴えた。たしか、梅南中では、抗議の内容や西成への思いなどをまとめて生徒自身がビデオを作成したはずが、16年も経っているけど、そのビデオはどこにあるのだろう。

中学生は「めちゃめちゃ腹を立てて」いたが、西成の大人たちは最初そうでもなかった。「近づかない方は無難」というのは日常に話される会話で、もう麻痺していたのかもしれない。西成支部も、そういう「大人の運動」で、釜ヶ崎の現状を見ぬふりをしていた。そこを中学生に指弾された事件でもあった。西成支部は、その直後、西成公園で、ホームレス問題と公園整備のまちづくりの衝突を経験するが、別冊フレンド事件の体験が活かされることになる。

事件から一年を経た1997年3月には、区民センターで「マスコミと人権」と題したシンポジウムも開催され、600人以上が参加した。この事件の一年前には米子市民による身元調査事件があり、二つの事件を通して、「西成差別」への関心が高まった。また、1995年11月には「西成区民の人権宣言」も発表されている。この頃、西成区民の中には、時々訪れる風邪のようなもので、「ふわっとした」被害感情でしかなかった「西成差別」が、「万病の元」なのかもしれないという「たしかな」感情へと変化し、現在の「西成特区構想」への下地を作っているかもしれない。そういえば、あの頃の中学生も、もう30歳を超えている。

資料:別冊フレンド差別事件

カテゴリー: 未分類   パーマリンク

コメントは受け付けていません。