「西成のまちづくり100話」
病原性大腸菌Oー157対策本部を設置
1996年5月28日、岡山県の学校給食での発生に端を発した病原性(腸管出血性)大腸菌、いわゆるО-157が全国で猛威をふるいました。7月13日には、堺市で学校給食から大量の集団感染が発生、3人の死亡者も出ました。厚生省(当時)が、疫学調査で原因食材としてカイワレ大根が疑われると発表して、大きな風評被害も引き起こしてしまいました。当時の菅直人厚生大臣が、風評解消のためカイワレ大根を食べるパフォーマンスが記憶に残りますが、日本列島が平静を取り戻すには相当の時間を費やしました。
「西成区で二名の患者発生」と新聞報道されたことで、西成でも、学校や保健所、区役所への区民の問い合わせが殺到、一種のパニック状態になりました。報道されることはありませんでしたが、「〇〇小学校の○○が感染した」「××も感染したらしい」等、まったくの憶測やデマ情報も飛び交い始め、地域では、重大な人権侵害が懸念された。
そこで、西成地区街づくり委員会と部落解放同盟西成支部は、西成地区内のすべての団体に呼びかけて「O-157対策本部」を結成しました。1996年7月25日のことで、素早い対応であった。「自分の命と健康は自分で守る」という広報活動を行い、病気に対する正しい知識と予防法を徹底するとともに、差別や排除を許さないという立場から、「もし感染しても、みんなで支えあい、安心して生活できる地域を作っていこう」と呼びかけました。また、大阪市に対して、全生徒・児童や全関係職員に対する検便の実施等を求めました。7月31日には、北津守小学校の説明会を対策本部で実施、会場の体育館が超満員となる参加者となり、住民の不安や関心の高さを示しました。対策本部は、地区内七保育所合同の説明会(8月1日)、長橋小学校(8月9日)、松之宮小学校(同9日)、鶴見橋中学校(同12日)、梅南中学校(同29日)と次々と説明会を開催しました。
そんな中、「感染者」と名指しされた子どもとご家族は、露骨な忌避、排除を体験し、対策本部に救いを求めてこられました。対策本部関係者も、実際の忌避の現場を現認しましたが、その異様な空気に驚かされました。対策本部は、ご本人の人権尊重を第一とし、厳格な情報管理に努めながら、住民啓発を行いましたので、偏見の流布は最小限で防止されました。
この頃、西成北西部のまちづくりは上昇気流に乗っており、住民の不安や偏見もありましたが、これを乗り越える参加意識がありましたし、日頃は口に出すことはありませんが、人権問題に敏感な部落解放運動があることを評価してくれる住民の反応が寄せられた事件でもありました。