第5話 定期借地権付きコーポラティブハウス・「ハーモニービレッジ」

「西成のまちづくり100話」

定期借地権付きコーポラティブハウス
「ハーモニービレッジ」

西成地区における住宅問題の大きなテーマ「多様な人々が安心して暮らせる多様な住宅づくり」。そのうち定住性の高い良質な持家住宅づくりを大阪市所有の未利用地を活用して進められたのが本プロジェクトである。

入居者みんなが調和して楽しく暮らせるようにとの思いをこめて「ハーモニービレッジ」と名付けられた集合住宅は、鉄筋コンクリート3階建て世帯数7戸と小粒ではあるが、夢がいっぱい詰まったみんなの住まいである。

タイトルにあるように本プロジェクトは、土地を大阪市から50年間定期借地し、建物は入居予定者が集まって一緒に創り上げるというコーポラティブ方式で建設された。

大阪市の土地を定期借地することで参加者にとっては土地費負担が軽減され、それが事業リスクや資金的な負担の軽減につながる。その結果、低層型でゆとりのある新しいスタイルの都市住宅が生まれた。

また、コーポラティブ方式は、そこに住みたい人たちが集まって、専門家(コーディネーター)の力を借りながら、それぞれの夢の詰まった住宅を一緒に創り上げていくというスタイルあるから、様々な仕掛けと工夫がある。

各戸は中庭を挟んで向かい合い、中庭には共同生活を楽しむための様々な仕掛け(回遊バルコニ-とそれを繋ぐらせん階段、ウッドデッキ、ベンチ、シンボルツリ-、雨水利用の手押しポンプ等)があり、夏の夜にはたびたびビアガーデンに変身する。また、環境に配慮して、ソーラーパネルでの共用部への電力供給、貯留槽の設置による共用庭散水としての雨水利用、生ゴミ処理機設置によるゴミの減量化等も行われている。そして、地区のまちづくりと連携して、各戸毎の家族によるデザインで焼きあげた地元産タイル「津守焼き」が共用のエントランスホ-ル床に敷設されている。

本プロジェクトは、平成11年春の構想検討に始まり、平成12年6月参加者募集、7月共同建設組合設立、11月着工、そして平成13年6月に完成した。コーポラティブ方式では、参加者募集から建設組合設立まで通常、最低でも半年から1年程度は費やすことを思えば超スピードでの進行である。

これは、まちづくり委員会が事前に地元の住宅ユ-ザ-グループ「西成集住ネットワ-ク」の結成に取り組み、学習会等を通じて参加予備軍としてのグル-プづくりを着実に進めてきたことに負うところが大きい。
未利用の公有地を市民に定期借地で提供するという全く新しい事業手法で取り組まれた本事業は、まさに、未利用地の効果的な活用を願う公共と良質な住まいを求める住民とのハーモニーが生み出した新しい住まいである。

資料:定期借地権付コーポラティブハウス・ハーモジビレッジ

 

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第4話 ますみ荘建て替え物語

「西成のまちづくり100話」

「ますみ荘」建て替え物語

 

大阪市内には老朽化した木造建物が密集し災害が発生すると想像も出来ないほどの被害が生まれる地域が約1、300ヘクタールあると言われているが、その代表的なエリアの一つが西成地区である。

老朽化した木造賃貸住宅は防災上極めて危険でしかも住宅としての水準も劣悪であることより、西成地区のまちづくりでは老朽化した木造賃貸住宅を一定水準の耐火建築に建て替え・更新することが大きなテーマとなっている。

しかし建て替えには、道路状況や隣接建物状況などの立地条件や、従前居住者の移転や賃料などの経営的な条件、などから多くの事業リスクが予想され、実現への取り組みはなかなか進まない。

そんな中、1995年春、老朽アパート4棟(ますみ荘)を母から相続し経営している4姉妹の一人から、建て替えについての相談がまちづくり委員会に持ち込まれた。そこで強く訴えられたのは、「何としても母の想いの一杯詰まったこの土地を、未来に立派に残して行きたい。」という土地への強い愛着であった。当時、ますみ荘は築後30年以上経過しており、建物は老朽化し、入居者の多くは、高齢者や生活困窮者だった。

建て替えの取り組みが始まった当初は、「50人を超える入居者がいるのに建て替えなんて・・・?」「建て替えても家賃が上がって入居者は・・・?」「建て替えには莫大な費用か必要だけど・・・?」「建て替えても経営は大丈夫・・・?」など、不安でいっぱいだったが、7年という長い時間をかけ2002年11月、西成地区における老朽木造住宅建て替え第1号となる鉄筋コンクリート7階建ての「増井マンション」が完成した。

長い時間を費やしたが、多くの困難を乗り越える為に、まちづくり委員会を支える多くの専門家が力を結集し、大阪市も様々な支援制度でバックアップした。「大阪市民間老朽住宅建替支援事業」による建設資金の一部補助と従前居住者への家賃補助、「大阪市優良賃貸住宅建設資金融資制度」による低利融資、これらをうまく活用することで建て替えの事業性が格段に高まり、

一方、不安一杯のオーナーにはまちづくり委員会メンバー、専門家、市職員が常に連携しながら寄り添い、サポートすることで建て替えを実現させた。

また、大阪市による建て替え期間中の仮移転用受皿住宅の建設は、従前居住者の移動や協力を強く後押ししたし、建て替え後に引き上げられる新家賃での生活保護受給者の受け入れについても、家賃補助の取扱い協議により認められることとなった。そして誰もが住み慣れた地を離れずに住み続けられるようになった。  『住みつづけられるうつわ』の誕生であった。

資料:ますみ荘建替物語

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第3話 別冊フレンド差別事件

「西成のまちづくり百話」

別冊フレンド差別事件

1996年2月、鶴見橋中学校の先生が、一冊の少女漫画を持って西成支部を訪れ、「この漫画の西成の注釈を女子生徒が見て、こんなん許されへん、めちゃくちゃ腹が立つと訴えている」と報告し、別冊フレンド差別事件への抗議が始まった。

連載漫画「勉強しまっせ・STUDYS」の中で、男子高校生のセリフに「兄貴おるけど、高校中退して家出てからずっと*西成 住んでるし」とあり、「*西成」を枠外で「大阪の地名。気の弱い人は近づかない方が無難なトコロ」と記述した。別のページでは、西成に住んでいるその兄貴が全身刺青、刺し傷の姿で描かれていた。

この事件への抗議は、中学生中心で実に爽やかだった。ひと月後の3月21日には区役所で抗議集会が開催されたが、鶴見橋中、梅南中、今宮中から生徒会150人が参加した。「大好きな、みやうちさんの漫画にこんなこと書かれて本当に腹立たしいし、悲しい。講談社は責任を果たしてほしいし、みやうちさんにも私達の思いを聞いてほしい」「ボクの立っている場所は、西成なのか釜ヶ崎なのか、それとも面白半分や偏見で汚い街と見ている人間なのか、いったいどちらやねん」と心の葛藤を口々に訴えた。たしか、梅南中では、抗議の内容や西成への思いなどをまとめて生徒自身がビデオを作成したはずが、16年も経っているけど、そのビデオはどこにあるのだろう。

中学生は「めちゃめちゃ腹を立てて」いたが、西成の大人たちは最初そうでもなかった。「近づかない方は無難」というのは日常に話される会話で、もう麻痺していたのかもしれない。西成支部も、そういう「大人の運動」で、釜ヶ崎の現状を見ぬふりをしていた。そこを中学生に指弾された事件でもあった。西成支部は、その直後、西成公園で、ホームレス問題と公園整備のまちづくりの衝突を経験するが、別冊フレンド事件の体験が活かされることになる。

事件から一年を経た1997年3月には、区民センターで「マスコミと人権」と題したシンポジウムも開催され、600人以上が参加した。この事件の一年前には米子市民による身元調査事件があり、二つの事件を通して、「西成差別」への関心が高まった。また、1995年11月には「西成区民の人権宣言」も発表されている。この頃、西成区民の中には、時々訪れる風邪のようなもので、「ふわっとした」被害感情でしかなかった「西成差別」が、「万病の元」なのかもしれないという「たしかな」感情へと変化し、現在の「西成特区構想」への下地を作っているかもしれない。そういえば、あの頃の中学生も、もう30歳を超えている。

資料:別冊フレンド差別事件

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