第29話 津守焼とは

「西成のまちづくり100話」

津守焼とは

西成区の地場産業であるレンダリング。その処理から出てくる牛骨灰に土や粘土を混合することにより、新しい焼き物、手作りタイル「津守焼」が生まれました。生きがい労働事業団「西成陶工」(平成9年7月設立)は、北津守に工房を構え、陶芸家吉野義隆氏の監修・指導の下、地域の高齢者や障害者の人たちで一枚一枚、手作りのタイルを焼き上げ、地元西成ブランドの「津守焼」タイルを完成させました。
津守焼は、粘土と焼成した骨灰(牛骨)を土練機で混合し、スチールの型に粘土を叩き込んで形を作ります。次に型から抜き出された骨灰入り粘土の面を丸めて2~3週間のほどの自然乾燥を経て(施釉のものは乾燥後釉薬をかけ)約1200℃の窯で3日間の焼成にかけ完成します。
一枚一枚すべて手作りの制作ということで、手作りならではの風合いと質感、他の素材では創出しえない独特の味わいを醸し出している点が特徴です。また骨灰を混合しているため、その骨に含まれているリン酸カルシウムの成分が、酸性化された空気中の成分を中性化、活性化させる効果と、臭気吸収、不純物浄化等の働きを持つなど、地球環境にやさしいタイルというわけです。さらに外構用タイルにおいての高い吸水性、低い熱反射は、路面温度を下げ、地球温暖化にも役立ちます。
 タイルには、無釉と施釉があり、その形状は、厚さ18ミリ95センチ角から190センチ角まで。吸水率は2.18、曲げの強さは444.3N/cm(JIS規格取得)。重量は1枚1.8㎏(多治見粘土・信楽粘土・加西粘土の三種配合)うち骨灰量約3%。生産能力は月平均300枚、最大1,150枚。価格は無釉が1枚400円、施釉が1枚500円でした。
 その製品は、鶴見橋商店街(レッドバックス)の内装タイル、鶴見橋2公園外構タイル、西成街づくりプラザ内装タイル、西成消防署の壁面レリーフ、西成住宅5号館の外構タイル、鶴見橋中学校の外構・壁タイルなど幅広く活用されました。また、北津守公園の遊歩道舗装タイル、まちかどホーム「すずらん」(特別養護老人ホーム)では、地元の高齢者や障害者の人たちと地域の子供たちが一緒になってタイルに絵をかくなど住民が主人公になった街づくりにも取り組みました。

 資料:津守焼とは

カテゴリー: 未分類 | コメントは受け付けていません。

第28話 夜店通り周辺まちづくり構想

「西成のまちづくり100話」

夜店通り周辺まちづくり構想

 通称・夜店通りは鶴見橋中学校の西側を南北に走る幅員約4メートルの道路で、その周辺では、かつては道の両サイドに夜店が並び、鶴見橋商店街とともにおおいに賑わったものでしたが、商店街の衰退とともに活力を失いました。
 一方、地区のまちづくりの取り組みが進む中で夜店通りでは、民間老朽住宅の共同建て替え(増井マンション、ブランコート、シャンベル北村)や、定期借地権付きコーポラティブハウス(ハーモニービレッジ)の建設が次々と実施され、さらに、鶴見橋中学校も建て替わるなど、まちは大きく様相を変えつつありました。
 また、閉鎖された温泉(鶴見橋温泉)での映画会や、新しく建て替わった温泉(三星温泉)でのサロンを活用した健康づくり、改良住宅集会所での祭り(ひらきまつり)、など住民どうしのつながり活動も芽吹きつつありました。

 そこで新しいにぎわいを取り戻そうと2002年から2005年にかけ、研究会を立ち上げて取り組んだのが本構想です。
構想ではにぎわいの復活が最も大きなテーマとなりますが、他にも道路そのものの構造的な問題や、住まいの問題、地域で暮らす人々のつながりづくりなどが課題としてあげらています。

 研究会で最初に取り組んだのは、夜店通りで頑張っているお店を再確認し、新たに発信していくためのマップ作りでした。行列ができるほどの超人気店や歴史を感じさせる老舗に混じって新しい感覚でつくられたお店が並び、わくわく感満載のマップが出来上がり、広く地域に配布しました。マップ制作の過程で、全店舗を対象に活性化にむけたヒアリングを実施したところ、どの店主も、活性化には大変興味と意欲を示されましたが、夜店そのものの復活については懐疑的で、時代に合った新しいスタイルのイベントを熱望されていました。
 道路の構造については、安全性や快適性を向上させるための舗装の仕様や構造物の構成等について大阪市も交えて検討しました。そして、エリア内に点在する公園(出城西公園、なが三公園)のあり方について、専門家を交えた住民ワークショップを連続的に開催し、大阪市とも連携して実現化をはかりました。

 整備構想では、対象エリアを「夜店通り活性化ゾーン」「コア整備ゾーン」「共同・協調型住環境整備ゾーン」「地域資源活用ゾーン」「商店街活性化ゾーン」に分類し、まちづくりの3つのテーマである、1.にぎわいづくり2.みちづくり3.すまい・くらしづくりの目標実現を目指しています。

 現在、地域の人みんなの想いをこめて造った「なが三公園」では、毎年7月に地域の人々が自発的に集い交流する「なが三まつり」が開かれ新たなにぎわいが生まれています。

資料:夜店通り周辺まちづくり構想

カテゴリー: 未分類 | コメントは受け付けていません。

第27話 西成公園研究会と野宿者問題

「西成のまちづくり100話」

西成公園研究会と野宿者問題

 1996年5月、西成地区街づくり委員会と北津守連合町会、津守連合町会等によって「西成公園研究会」が発足しました。前年の1995年1月17日阪神大震災が勃発した際、「阪神大震災復興支援西成市民協議会」を結成しました。そして、現地への復興支援活動を行うとともに、西成の防災のまちづくり要望をまとめ、区民2万人の署名をわずか一か月で集め、大阪市に提出しました。とくに、要望の中で、災害時の緊急広域避難場所である西成公園の機能健全化は焦眉の課題でしたので、住民自身の話し合いを進めようと研究会の発足となったわけです。
 そして、公園地下部分への緊急時貯水施設の敷設と地上部分のリフレッシュ工事を柱とする西成公園再整備計画がまとめられたのは、住民参加によるもので画期的なことでした。しかし、当時、西成公園にはおよそ200人もの野宿者がテント生活を送っていました。不況が長引き、釜ヶ崎地区周辺でダンボールにくるまれた路上生活しながら、日雇い仕事を待ち続けていた労働者が、長期にわたって仕事にありつけないものだから、公園等にテントを張って生活する「野宿者問題」が深刻になっていたことが背景にありました。
 以前から、周辺住民の中には、「子供も自由に遊ばせることができない」「広域避難所なのにまったく機能していない」等不満と不安で、野宿者との緊張関係が高まってきていました。街づくり委員会は、野宿者問題を理由に公園整備を遅らせ、防災計画を立ち往生させるのでは住民の理解は得られないと、公園整備計画と野宿者支援を同時に進めるよう、大阪市に再三要望しました。大阪市は、「公園機能の健全化」「広域避難機能の確保」という責務を認識しながらも、現実の野宿者の人権尊重との間のジレンマで、1997年10月着工予定が、12月に延期、さらには「冬の寒い時機に野宿者の協力は得られない」等、工事着工は大幅に遅れてしまいました。
 街づくり委員会は、人権への配慮から翌1998年3月着工に合意し、その間、野宿者の自立支援策の検討、個別の野宿生活者の状況把握のための「個別相談会」の開催、周辺住民と野宿者支援団体の相互理解を得るための「懇談会」を大阪市に求めるとともに、街づくり委員会や設立間もない社会福祉法人・ヒューマンライツ福祉協会も相談活動などに参加していきました。
 こうしたさまざまな努力を経て、1998年3月西成公園再整備工事が始まりました。

資料:西成公園研究会と野宿者問題

 

カテゴリー: 未分類 | コメントは受け付けていません。