第17話 タイとニュージーランドの少数民族と交流

「西成のまちづくり100話」

タイとニュージーランドの少数民族と交流


1992年11月1日~8日の八日間、西成から総勢14名がタイを視察しました。部落解放同盟西成支部、教職員、よみかき教室(識字)受講生、保育・教育守る会の保護者、子ども会指導員、解放会館職員等々で、曹洞宗ボランティア協会(SAV)の方がアシストしてくれました。目的は、(1)タイのスラムにおける環境改善運動と識字活動を学び、交流すること、(2)タイ北部のモン族の保育所建設運動や村おこし運動の視察と交流、(3)タイで活動する日本人のスタッフやタイの青年、女性の活動者たちとの交流でした。主な訪問地は、バンコクのスラム街区、チェンライ(タイ北部)の少数民族モン族の居住区(ホームスティ)でした。
スラムの実態は、泥湿地の上に木板やトタンの古材で建てられた小さな家、密集した家々で迷路のようになった狭い道路等々、その昔の西成の部落の実態と似ていました。そこに、ストリート・チルドレンと呼ばれる孤児等学校にも行けない悲惨な子供の実態がありました。訪問団は、そのスラムで環境改善や子供たちの教育活動に取り組むドゥアン・プラティープ財団を訪問し、財団の創始者プラティープ・ウンソンタム・秦さんのお話を聞きました。プラティープさんはアジアのノーベル賞といわれるマグサイサイ賞(社会福祉部門)を受賞した団体です。
また、モン族の居住区でのホームスティでは、モン族伝統の保育所地鎮祭や踊りを披露していただき、自然に囲まれ、伝統文化を守る山岳民族に触れる貴重な体験をすることができました。タイのモン族は約2万世帯15万人と言われるタイの少数民族です。
部落解放同盟西成支部は、一年後に財団法人・ヒューマンライツ教育財団を設立しました(1993年12月18日)が、タイ訪問は、その設立準備のための研鑽のプログラムの一つでした。
ヒューマンライツ教育財団は、五年後の1997年3月9日~16日、今度はニュージーランドの少数民族マオリ族との国際交流を実施しました。この交流団に参加したのは、教育財団の奨学生でもある高校生、大学生や青年部、案内係のIMADR(反差別国際運動)の方で総勢10名でした。現地では、マオリの人々の雇用、健康、教育政策や1975年にワイタンギ審判所が創設されてからの強奪された土地の返還運動の経過などについて学ぶことができました。
この頃、部落解放同盟西成支部は反差別の国際交流への関心が高まって、別掲のアメリカやイギリス・イタリアの海外視察につながっていきましたし、西成のまちくりに新鮮な問題意識を持ち込んでくれました。

資料:タイとニュージーランドの少数民族と交流

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第16話 西成ブックレット『西成で骨を考えた』

「西成のまちづくり100話」

西成ブックレット『西成で骨を考えた』


西成地区で牛や豚の骨や脂肪から油脂などをつくるレンダリング業(化製業)が戦前から行われ、数少ない地場産業として今日まで続いてきたこと、悪臭公害の解消と工場の近代化および技術力・研究開発力の向上による魅力ある地場産業としての再生を期待して、西成地区街づくり委員会が中心となり、化製業者の協業化による産業集約化を進めたことは、第12話「西成のまちづくりとレンダリング産業」で書きました。しかし、西成地区内に集約化工場の建設が決まるまでには、多くの難題を乗り越えなければなりませんでした。
そのひとつが地域住民への説得でした。

集約化を進めるにあたって、地域住民の気持ちとしてはまず地区外への移転でした。街づくり委員会としても当初は地区外への代替地探しを追求しましたが、適当なところはなく、地区内に建設する以外にないという結論に達しました。また、これまで地域で営々と生業を続け、一定の雇用も生み出してきた地場産業としての化製場への思いや、臭いから余所に移すというのでは公害の持ち出しで何の解決にもならないという反省もあって、むしろレンダリングの可能性に目を向け、集約化をまちづくりの一環として位置づけることで、住民への説得と集約化の進展をめざしたものです。今回のお話、西成ブックレット『西成で骨を考えた』は、副題に「西成のまちづくりとレンダリング産業」とあるように、ほとんど知られていないレンダリング産業の事業内容と、それが西成のまちづくりに持つ意義とを確認し、地域の人々の理解を得ることを図って1998年に作成したものです。

内容は、夕食中の家庭に突然牛おやじが訪問してくる突飛な漫画仕立ての導入で始まり、レンダリング産業とはどんなものか、西成ではどんなことをしているのか、また、レンダリングの代表的な製品一つひとつについてその可能性などを、誰にでもわかりやすく解説しています。事業者のインタビュー記事も貴重な証言。事業者、まちづくり関係者を交えての座談会「21世紀の未来型レンダリング事業を考える」は、西成のまちづくりとレンダリングの可能性について、当時の関係者の熱い思いが伝わってきます。

ところで、『西成で骨を考えた』は、当初は、レンダリングといういわば地区を性格づけてきた産業を縦糸に、そこで織りなす西成文化を、正の部分も負の部分も、また陽の部分も陰の部分もひっくるめて掘り起こしてみようという、西成発の西成文化論とも言うべき書を考えていました。しかし、力不足と焦点を絞り込むことを優先し、主に地域の住民や子どもたちを対象に、レンダリングへの理解を深めてもらうためのブックレットの発行に落ち着きました。A5判、本文96ページの小冊子。奥付など表紙の裏面(表2・3)を刷り忘れ、あわててシールを貼ったり、肝腎のrenderingの綴りをまちがえるなどミスも目につきますが、今となってはちょっと他にはない西成ならではの資料となっています。

資料:西成ブックレット「西成で骨を考えた」

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第15話 ヒューマンライツ教育財団の設立

「西成のまちづくり100話」

 ヒューマンライツ教育財団の設立

 財団法人ヒューマンライツ教育財団は、1993年12月18日に設立されました。これは、部落解放同盟西成支部が、長年にわたる蓄財5億円を基金にして、地域や広く社会の人材育成に貢献したいとの思いで設立されたものでした。
 教育財団の実施する主たる事業は「奨学金事業」で、被差別部落に在住する者、被差別部落に存在する学校に在学する者、被差別部落に在住する保護者の子どもで、「人権尊重のための豊かな感覚を習得しようとする」意志を有する者に、高校、大学奨学金を給付するというものです。奨学金事業以外にも、海外留学生に人権教育助成金を給付する「海外留学生奨学金事業」や、学校及び社会教育施設において行われる人権問題に関する教育を支援するために、学校及び社会教育施設に助成金を給付する「人権教育助成事業」、また、部落問題や障害者、女性、在日朝鮮人、スラム問題等、現代の人権問題の資料収集等の「部落問題調査・研究事業」を事業内容として出発しました。
 設立初期の頃の奨学生(4期生)で、53歳で立命館大学に合格された中西明美さんは、手記にこう述べておられます。
  「私は53歳です。西成地区に対して人一倍愛着心を持っています。私が、 小学校一年の時、父が死亡し、母親一人で子ども4人を育ててくれました。 当然貧しく、長兄が知的障害者だったこともあり、近所の人の助けがなくて は生きていけなかった。今、法学部に社会人として入学。私は、まだまだ勉 強が足らない。これからもっと自由と平等、人間の尊厳が守られるような社 会を作っていけるよう、少しでもお世話になった地区への恩返しの意味でも 頑張っていきたい」。
 教育財団は、別掲のタイ視察、ニュージーランド視察の海外派遣事業や、西成区在日コリアン人権意識調査等を実施してきました。また、教育財団設立直後の1994年7月24日には、地域の医療拠点であるツルミ診療所の泉正夫先生から、教育財団への1億円の寄付の申し出がありました。教育財団は、この寄付を「泉基金」として、医療や福祉の人材育成に活用することにしました。
 この頃、部落解放同盟西成支部では、「持続可能な部落解放運動」という問題意識があり、財団法人や医療法人、そして社会福祉法人の勉強や情報収集を始めました。その最初の事業が財団法人設立だったわけです。日本経済は長期の不況へと向かって行き、金利は下がっていきましたが、教育財団にかけた解放運動の思いは次第に地域に浸透していきました。

資料:ヒューマンライツ教育財団の設立

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